「風」について想うこと



■「風」は敷居が高いのか?

bridge誌上で、渋谷 陽一さんが言っていたように、
歌詞が難解で、敷居が高いのか?
多分、ファンにとっては、「ちっとも!」だ。
まだまだ、分かりやすい方ですってば。

では、逆に、問おう。
渋谷さんが、良しとする、ヒットした頃のエレカシの歌詞は、分かりやすかったか?
(あればっか、やってて、エレカシは続いたか?)

私にとっては、「売れてる歌謡曲」の歌詞の方が、分かり難い。
だって、書いている人の人間性が見えないんだもの。
鴎外の作品で言えば、「雁」かな。
読みやすいけど、「で、なんなの?」
あれフ読書感想文って、書きにくい。
主観も熱情もない。
失敗だとしても、尻切れトンボでも、「青年」の方が好き。
嫉妬心や、人間の生の嫌らしさが滲み出ている方が。

「扉」のように、ストレートにぶつけられるのも、好き。

「遁生」の中に、苦しみを見つけるのも、好き。

「奴隷天国」で、ふっきれるのも、好き。

ただ、散歩してたらできちゃった、っていう、歌詞の中に、迷路の出口を見つけるのも、好き。

エレカシは、歌詞が命でしょ。
その歌詞に、邪念があってはいけないでしょ。
それでは、共感を呼ばないでしょ。

ファンにとっては、敷居が高い、なんてことない。
「きみと見た夜空を今はひとりで見上げている〜」だとか、
「この瞬間に君とふたりでいることが僕の幸せだ〜」とか、
「君の笑顔をいつまでも守りたい〜どんなときも〜」だとか、
歌われちゃ日にゃぁ、それこそ、敷居が高くて、高くて。
どうします?

エレカシを知らない人にとっても、
「友達がいるのさ」は充分ポップな曲だし、
「平成理想主義」の歌詞の難解さ(?)だなんて、曲のかっこよさが充分カヴァーしてくれると思うし、
だいたい、日本語だしね。

アングラだなんて、言われ方、思いもよらぬことだった。
けど、
何がアンダーで、何がオーヴァーなのかって、やっぱ、セールス?
でも、
これで、エレカシが自分の言葉を捨てて、売れる曲を書くようになったら、私は多分、ファンをやめる。
自分の言葉と自分の音楽で売れるんなら、それは、もう、諸手をあげて大喜びよ!
だけど、
売れるために曲を作るエレカシは、私が好きなエレカシじゃないもの。

「売れるために書いた曲が売れることに敗北感を感じた」
と、ミヤジが言っていたけど、
その姿勢は、やっぱり、ずーっと持っていて欲しい。

敷居の高さは、関係ない。
歌いたいことを歌う。
エレカシは、そういうバンドだと思う。
そうでなければ、エレカシじゃなくなるもの。

昔、美術の先生が言っていた。
ガラス瓶をジャガイモのように描いても仕方ない。
ガラス瓶は、ガラス瓶。
固いタッチで、ぼかさず、シャープに描く。
それが、ガラス瓶。



■エレカシはなんで、アングラなんだ?

私が、「エレカシファンである」ことをひた隠しにしているのは、エレカシが売れてないからじゃない。
ミヤジのことを、「あの、変な人ね」って、言われるからでもない。
「エレカシ」の歌詞が、一般の人たちが共感できる歌詞でないから。
それに、私が共感していることを知られるのが、嫌なの。
なに、言ってんの?この人。
って、言われそうなことを、歌ってる。で、それは、私の内面でもあるの。
エレカシのファンです、と公示することは、私って、こんな人間です。と、さらけ出してしまうようなもの。
「太宰が好きだ」と言えば、即「暗いやつに違いない」というレッテルを貼られるでしょ。
そんなことを懸念しているの。(小心者だから)

一般的に受け容れられにくいもの。
それがアングラだとすれば、エレカシは充分にアングラ。
ただし、それとセールス面での成功とは一概に一致したものだとは言えない。
しかも、音楽としての評価は、セールスとはまったく一致しない。

歌詞のせいだけで「アングラ」と呼ばれるなら、それはそれで、誇りに思ってもいい。

エレカシの歌詞はアングラ(この際、思い切って、アングラだと言い切ってしまいましょう!)であるにしても、アングラでない、一般に受け容れられやすい曲を作る才能がある。
エレカシの曲は、ポップカルチャーに対抗できる強力な武器。
だから、要はプロモーション次第だと思うの。
間口を広げれば、ひっかかってくるお魚も、ね。
メロディから、つかむ!
CMとかで、どんどん使われるようになればなぁ、と思うのよねぇ。

「平成理想主義」も「LAYLA」の構成をマネたんだよ、とか、そういう、デマを流すといいかもしれない(^^)

なんか、敷居、低くなるような気がしません?



■まとまりのない、捨てアルバム?

だいたい、なんで、今までのアルバムにまとまり感があったのか? それは、これまでのアルバムの作り方にあったと思う。
詞は後で。
スタジオに籠もってから考える。
自然、アルバムのテーマが決まって、言葉や想いが重複する。
一貫した作品に仕上がる。

でも、「風」は、違った。
どちらかというと、書き貯めていた曲をまとめたって感じ。
曲が10曲できたから、アルバムにしました。

いやぁ、もし、そんなんだったら、
中には駄作も混じっているかもしれませんね(^^;)

「扉の向こう」の中で、聴いた曲も入っていますもんね。
「扉」に入れたかったけど、入りきらなかった曲と、間に合わなかった曲、夏場にできあがった曲、結構、仕上がりいいんで、1枚作っときました。
買う方としては、たまったもんじゃないです。
このあたり、セールスを気にするようなバンドであれば、ちゃんと吟味して、出来た曲でも捨てて、売れる曲をまとめる、という作業をするはずです。
でも、エレカシの場合、できたもの全て「作品」ですから、よっぽどの駄作出ない限り、捨てちゃうなんてこと、できません。

・・・というのは、私の勝手な想像です。

ま、いろいろ、やってみたかったんじゃないかな。
アレンジャーのことも含めて。
ミヤジの敬愛する鴎外も、そんな感じでしたからね。
彼は、文学者ではないので、ある意味、自由に作風を模索できたわけです。
雅文、漢詩、現代文、すんげ批判したくせに、自然派を真似てみたり、漱石が書けば、自分も似たようなもの書いてみたくなったり。
何々派、という括りではありませんよね。
そういうところ、エレカシにも共通するでしょ。

いろんなの、やってみて、これが、スタートだ!
って。

いままでも、そうだったじゃないですか?

だから、捨てアルバムになるかもしれないし、伝説の1枚になるかもしれない。
それは、これからのエレカシを見て行かなきゃ、分からないですよね。

でも、捨てアルバムだってことになったら、3,000円、もったいないなぁ。なんてなぁ〜。



■アレンジャーの影響って?

今回のアレンジャーの存在は、成功だったと思います。
それは、アレンジャーを「仲間」として取り込んでしまっているから。
ただアレンジされるだけではなく、エレカシの一部としてアレンジャーを取り込んでいるから。
あ、それが問題なのか・・・

新しい楽器が増えた、くらいの感覚で〜。

いえ、生きていますからね。久保田氏は。
いろいろ、影響は与えたでしょう。
音楽的にも、精神的にも。
彼ら、純粋で、純血ですから、他からの影響、受けやすいですから。
うわぁ、よその人に、うちの中、見られるって感じ〜。で。

でも、今、この時期に風穴空いたってことは、良いことだと思う。
音楽的な行き詰まりは、実際あったわけだから。
新しい技術も取り入れられたでしょうし。
これが、実験に終わったとしても、ファンとしてこの3,000円を惜しむ気にはなれない。
(でも、捨てアルバム、と言われたら、惜しむなぁ・・・)

最終的に、曲と歌詞が残れば、わたしはそれで「エレカシ」だと認めます。
アレンジが、ユーロビートでも!
(それはそれで、聴いてみたい・・・)

エレカシが、アレンジャー一人のために、しかも、たった1枚一緒に仕事したくらいで、変わってしまうなんてこと、ないですからー。
でも、エレカシが、こっちの道を選ぶ、というのなら、それは、そういう路線なんだから、ついていきますよ。

ただし、ライブは、しっかり練習して、石くん一人でがんばってね。
やっぱ、ライブは4人で、やってほしいの。
トランペットとか、特殊なものはしかたないけどさー。

ガストロンジャーだって、再現できるんですもの!
がんばれ。石くん!



 



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