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エレファントカシマシ「月と侍」 ある時期、文学青年のように同胞に向かって歌っていたような感覚があって、正直にストレートに自分の気持ちを歌にしてきたから、それに共感してくれている人はいると思う。 僕の気持ちが届いた一部の人たちには、憧れや強い共感を呼んでいると思う。 でも、オリーブなど、女性誌の謐゙には臆するところがある。自分でいいのか、かっこいいのかなって。「大丈夫ですよ」って言ってくれないと不安。 今は、一部のファンのためにではなく、一般に対して広く「売れたい」気持ちが強い。今回のアルバムにはその気持ちが強く表れている。「今宵の月のように」が13位というのは、ちょっと残念。ベストテンには入りたかった。今はチャートをすごく気にする。 「多くの人に届けたい」というのはかえっていやらしいから、一言で「売れたい」と言っている。 売れたいという気持ちはデビュー当時からあったけど、今のように強く思うようになったのは、レコード会社の契約が切れてから。同世代のミュージシャンがテレビに出たりチャートに乗ったりしているのを見て、一番悔しかった。 その時に「俺達も売れなきゃ」と痛切に感じた。 単純に音楽がすごい好きだった。試験勉強よりもギターを弾いていた。全然弾けないんだけど、3本しか弦のないギターを見よう見まねで弾いて、「ファイティングマン」のリフ一個作るのに3ヶ月夢中になったりして、そういうことが楽しかった。家の中で大声で歌ったり。 アマチュアの頃は「あ、こいつのこういうとこ嫌だから、俺はこういう風にしよう」とか、批判的に曲を作れた。「俺だったらここのコードはこういうふうにいくのに」とか。 自分の欲求が発露できるようにある種客観的に曲を作っていられた。 でも、デビューすると、良くも悪くも周りの人に色々言われるようになって、言われることで良くなった部分もあるが、なんか、自分で考えちゃう部分とか合って。 はじめてのテレビ出演の時にも、演出が「ちょっと普通じゃないやり方で売り出していこう」みたいな感じで、いいのか悪いのかさえ分からなかったけど、嫌だった。ジャケットに履いていた靴をつっこんで、演奏なしで一人で「デーデ」を歌ったやつ。自分たちはごく普通のロックバンドだと思ってやってるのに、「なんか違うな、俺は嫌だな。」って感覚を言えずにいるだけで、とにかく意外な感じと違和感がやたら頭にあった。 デビューしたら衣装買ってくれるんだろうと思ったら、ライブも普段着だし、ライブの本数も、アマチュア時代より増やして月に4、5本やろうと思ってたのに、逆に3、4ヶ月に1本くらいに減って。だから前の社長によく言っていた。「もうちょっとこうしたらどうですか?」って。 でも、実際ライブになると自分自身が「バカ野郎」とか言っている(笑)何がなんだか、よくわからなくなっていた。ただ、「なんか違う。今のまんまじゃ嫌だ。」って感じだけが膨らんでいた。 本当は普通にやりたかった。渋公で客電つけっぱなしでやったのも、すごく嫌だった。なんで客電つけてやらないといけないのか、分からなかった。昼間の野音ならまだしも。観客が緊張しているのが分かるから、こっちも緊張しちゃう。「なんで明るくしてんだ、バカ野郎」みたいなのかあった。 でも、気が弱いから、最終的にそれに強く反対できなかった。最初の頃にやっていたことは、全部望んでいたことか、っていうと、そうとも言い切れないのが事実。 「曲が良ければそれで良い」という単純な気持ちが心を占めていた。だからすごく良い曲は作っていたと思う。でも、結果としてはあまり売れていなくて、客電つけっぱなしでやるとか、怒鳴りつけたりといった演出も効果を出していなかった。そういうことをストレスに感じていて、自覚的に「変えていこう!」と思い始めたのは5枚目「エレファントカシマシ5」の頃。 「もっと普通にやった方がよくないですか」といった言葉でしか提案できなかったものが、もっと踏み込んだ気持ちに変わっていった。大学卒業とか、ひとり暮らしをはじめたりとか、失恋とかそういった変化にも影響されたのかもしれない。 大学自体はさほど楽しくなかった。超一流でもないし、笑っちゃうくらい「中」だったから。(東大コンプレックスのことを言っているのかな?) サークルもバイトもしなかった。大学の図書館へはよく行っていた。 大学生活って、ダサイと思ってた。みんな、1年の時から、誰々先生のサークルや研究室は就職が良いからとか一生懸命やっていて。俺はそういうのが全然なくて。音楽をやっていたからかもしれない。根拠のない自信のようなものがあった。就職のために躍起になっているみんなを、もっと楽しいことがあるだろう、みたいに見ていた。自分とは相容れないと言う目で見ていた。 そんな中で、ひとり、大好きな先生がいた。担任みたいな教授で、唯一僕の名前と顔を一致して覚えてくれていた先生。中国音韓国語の先生だった。もう亡くなったけど。(校内で「宮本くん」って話しかけられて、他愛もない話をしながら歩いた思い出を、いつか話していましたよね。) 実家から大学に通っていた。アルバイトをしていなかったから一日500円とか700円とか昼飯代をもらって。確固たるものに守られていた。だから、始めて一人暮らしをしたときは本当に不安だった。もうビックリしちゃった。(かわいいー) 家にいても別に両親と話す訳じゃないけど、誰かが家にいるのはこんなにありがたいものかと実感した。といっても、自分が家庭をもって子供を持つのは嫌。自分を反映した子供って、嫌だ。想像も出来ない。結婚も嫌だ。メンバーで2人結婚しているけど、(石くんも含む、だね(;;)見ていてすごく楽しそうだとは思うけど、結婚したいとは思わない。断言するね。(笑) (一人暮らしや大学卒業で)絶対的なものが1個1個なくなったことで、音楽の中で自分を確立していかないと、という焦りみたいなものがでてきた。それが「東京の空」でいい形に結実した。そしてその曲作りや音楽に向かう姿勢は、そのまま「ココロに花を」に反映されている。違いは、作品の見せ方やプロモーションの仕方、人への伝え方。そして今回のアルバムはまた一歩踏み込んでもっと身近に普通に聴けるものにしたかった。ふだんの生活に踏み込めるような。実は5枚目くらいからこんな風にしたいと思っていた。プロデューサー、外人のミキサーをつけるのも。「ココロに花を」で自信がついたこともあった。 「東京の空」のライナーに「繰り返し聴いてくれたら、どんなに素晴らしいだろう」って書いたんだけど、今回もその気持ちで作った。メロディーがしっかりしたいい歌にしたかった。繰り返し聴いてもらえるのがやっぱりいちばんうれしい。ファースト・アルバムのときは「この野郎!お前!」とか「お前は間違ってるんだ、こうだっ!」って革命起こしてやろうみたいな、気持ちで作っていたけど、今は違う。あの頃は、みんなより俺の方が偉いと思っていたから。(あぁ、きっとそうだったろうねぇ・・・σ(^_^;))今はみんなの忙しい日常に歌が入って少しでも楽しんでもらえれば、って気持ちが強い。 曲も詞も、あんまし考えないでウワーって一気に作るようにした。ありのままの自分の気持ちで正直かつ誠実に作ってどう届けるかを考える。レコーディングも気構えず普通の生活のテンポで入って。まさに安定している感じだった。「ココロに花を」は新しいスタッフやレコーディングに対する不安や緊張、新鮮さが瞬発力を生んだが、今回はもっと安定した気持ちを出したかった。曲順も。歌をしっかり聞いてもらうことを第一に考えた。「ココロに花を」では”コンパクトに”というテーマで「昔の侍」のようなものは意図的に排除していた部分がある。それまでの”男臭さ”は極力出さないようにしていた。でも、今回はそういう意図的な要素は一切なしで普通の状態で作った普通のアルバムにしたかった。 「月夜の歌」って言葉をタイトルに入れたのも単純で、4枚目の「月の夜」の内省的な感じをこのアルバムにも出したかったから。「明日に向かって走れ」だと、猛り立って走っている雰囲気だけ取られそうで、それが嫌だった。「昔の侍」の「侍」だと男らしくて強い。対照的に「月」はきれいなものを思い浮かべる。そういうわかりやすいイメージで作りたかった。 ごめん。途中です。 つづく・・・ってことで。 |
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