宮本大学ミヤジ学部 第2時限 永井荷風



「ラストゲーム」にも登場する、永井荷風。
実は、わたくし「もみじ」は、荷風の名前の由来に基づいてハンドルをつけました。
そぉうっ!もみじも、荷風のファンなのでありますーっ!
でも、ミヤジが荷風の生き方に憧れている、というのには、ちょっと不安を感じざるを得ません。
だって、だって、荷風は・・・・・




昭和34年4月30日未明没。
79歳でありました。

荷風を語るには、やはり、生まれた日から、よりは、この日のことを書かなければいけない、と、わたくし思うのでありますーーーーっっ!
(えぇ、えぇ、ただの、くだらないこだわりです。)

『断腸亭日乗』の最後の日記は
「四月二十九日。祭日。陰。」
・・・・であります。

そうです。その翌日、荷風は亡くなったのです。
持病の胃潰瘍のため、吐いたものが喉に詰まっての窒息死でした。
孤独な荷風の死を発見したのは、通いの家政婦。
その死の、翌朝のことでした。
その最後の食事が「アリゾナ」だったか、違う定食屋だったか、ファンの間では未だにその謎が話題に上らない日はありません。

しかし、
いやだぁ!宮本さんは、こんな孤独な死に憧れるのかぁっっ!!??



それはさておき、荷風は当時でもお洒落でダンディ、飄々とした生き方(に見られていて)で、目立っていました。しかし、その文学には愛が溢れ、ただの傍観者に留まらない、そんな人間愛に満ちていました。

荷風と言うと「花柳小説」と一言で片づけられがちですが、膨大な作品の中でも「花柳小説」と言えるものは、実は半分にも満たないのです。わたしは、荷風の作風は「情緒と人間愛」だと断言いたします。変わり行く近代東京にありながら、消えていく江戸の景色と風情を惜しみつつ、それを文学に残そうとした。そして、そこに生きる人たちのシワの奥まで本当は読んでいながらも、表では軽薄な顔して書いた。そんな気がしているのです。
とんでもなく、私感です。



簡単に年表をつけました。

本名 : 永井壮吉

明治12年12月3日 官僚の長男として生まれる
明治36年 大学を中退して渡米→リヨン、ロンドン
明治41年 帰国
      『あめりか物語』発表
明治42年 『ふらんす物語』発表→発禁
      『すみだ川』発表
大正元年 結婚→2年離婚
大正3年 結婚→4年離婚
大正7年 『断腸亭日乗』をつけはじめる
大正9年 偏奇館完成
昭和6年 『つゆのあとさき』発表
昭和12年 『墨東綺譚』発表
昭和20年 東京空襲のため偏奇館消失
昭和27年 文化勲章受章

詳しく書き始めると、とんでもないことになるので、簡略版にしてみました。



若い頃は親のスネをかじりまくりの人生で(^^;)、大学中退にはじまって、落語家になりたい、だの、渡米しては親の伝手で仕事をもらいの、文学も、おぼっちゃまの道楽と思われないこともないのですが、やはりそこは才能なんでしょうねぇ。耽美主義を確立して時の人となりました。ボードレールやヴェルレーヌを日本に紹介したのも荷風だと言われています。すごい功績ですよね。

さて、荷風の名の由来ですが、これが、とってもロマンティック〜。
荷風は子どもの頃病弱で、年少のころより入院がちだったそうです。入院先の看護婦「お蓮さん」が初恋の人。かわいいーーーっ!その「お蓮さん」から「荷風」の名を付けました。
「蓮」を「荷」に読替え、「お蓮さんの香りよ、風に乗り、私のそばにいつも漂っていておくれ」という意味で、「荷風」。素敵ですよねー。

鴎外は別荘から眺める海に浮かぶカモメから、だとか、漢詩から、だとか、言いますが、まぁ、軍医らしくかっちりした名前ではございませんか?漱石しかり。太宰は同級生の名前+本名ですものね、修「治」。二葉亭四迷、曲亭(滝沢)馬琴は自責の念から。これもすごいですけど。





まだ未完成です。すこしずつ作成しています。
気長にお付き合い下さいませm(._.)m





ここまで読んでくださった方、(いらっしゃったら・・・)本当にお疲れさまでした。
私の主観も随分入っております。気分を害された方がいらっしゃったらご容赦下さいませ。
ご意見、ご感想はこちらへお願いしますm(._.)m


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